永久凍土帝国クリスタニア

 最早あんまり説明不要、泣く子も黙るFateシリーズ、そのスマホ向けアプリとして登場した、Fate/Grand Order(FGO)。

 TVCMも流しているようで、ある程度ゲーム文化に触れたことがある人なら、名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。

 スマホ向けRPGの本作は、他のスマホアプリと異なり、そのシナリオに明確なエンディングがあります。

 勿論、第1部が終わった後には、さらなる物語が待っており、エンディングで即コンテンツ終了となるわけではないです。

 けれど、このエンディングがあるということは、シナリオに明確な着地点があるということは、本当に大事なことだと思います。

 自分は割と後発組で、手を付け始めましたのは第1部の完結後です。

 現行のシナリオに追いつくために、かなり無茶なスケジュールで本編を走り切りました。

 十分な育成を行わず走った強行軍は、それはもう、しんどかったです。

 非常にしんどかったのですが、でも、楽しかったです。

 落ちた体力にぜーぜー言って、敵の強さに悲鳴を上げながら、久しぶりに見知らぬ土地での大冒険、いや、旅を。

 『JOJOの奇妙な冒険』風に言うならば、「辛いことが沢山あったが……、でも楽しかったよ。皆がいたから、この旅は楽しかった」(3部のエピローグ、ポルナレフの台詞ですよ)でしょうか。

 いいゲームだったと思います。

 自爆特攻展開がやたら多いのだけは、割と不満ですが。

 さて、FGOの話を長々としてしまったのは、第2部の第1シナリオ「永久凍土アナスタシア」の話をしたかったからです。

 つい最近(2018年4月時点)解禁された、これを書いている当時では最新のシナリオなのですが、これに言及したツイートの中に、面白い単語がありました。

 「永久凍土帝国クリスタニア」

 ……音韻が似ているだけの、ただの言葉遊びだったのでしょう。

 ちょうど、グランクレスト戦記やロードス島戦記30周年で盛り上がっていた時期なので、思い出したかのようにクリスタニアのツイートが流れてきただけなのでしょう。

 ただ、すでにシナリオをクリアしていて、クリスタニアも遊んだことがある自分にとっては、音だけでなく内容にも符合するものがあって、少し嬉しくなってしまったのです。

 そんなわけで、勢いに任せて明日の予定も顧みず、深夜にキーボードを叩くのでした。


 ここからは、FGO「永久凍土帝国アナスタシア」のネタバレが混じります。

 多少ぼかした表現にしますが、自己責任でお願いします。

 あと、FGOファンの方、表現が不正確だったり説明が一部異なる部分もありますが、派手にネタバレしないためなので、許して下さい。






 「永久凍土帝国アナスタシア」の舞台は、FGO世界の現代とは異なる世界。

 ややこしいことは実際にプレイして頂くとして、そこは約500年前に起きた事件を発端に、異なる歴史を歩んだ現代です。

 何やかんやあって突然の氷河期に入った地球において、その体を魔獣と合成し、人ならざる者となった人々がいました。

 魔獣なんているのか、とお思いかもしれませんが、そういう世界なので気にしないでください。

 で、そうやって氷河期に耐えるべく強靭な体を得た一部の人類ですが、融合の具合か、融合した魔獣の性質か、全ての人が等しく強靭な肉体を得た訳ではありませんでした。

 そして、過酷な環境はそうして生まれた弱い人たちを生かすほど優しくはありませんでした。

 運良く強靭な肉体を得た人々は、そうした弱者を文字通り食い物にして生き残りを図ります。

 自らを、食人の魔女「バーバ・ヤーガ」になぞらえ、人を捨てた新しい種族「ヤガ」として。

 人間として大事な何かを置き忘れた、新しい人類として……。



 まあ、シナリオ内の主に歴史の部分のみざっくりと抽出したわけですが、この生存のために人類と魔獣の合成した、という部分が自分には引っ掛かりました。

 そう、神獣たちも同じように、かつての神の身体を捨て獣の肉体に身をやつしています。

 ただただ音だけ似ていたアナスタシアとクリスタニア、その内容に通じるところがあると気付いた時は、しょうもない笑いが止まりませんでした。

 そうしてひとしきり笑った後、ふと思ったのです。

 魔獣との合成で人間として何か大事なものを置き忘れてしまったのだとすれば、中立神たちも神獣となる過程において、神として何か大切なものを置き去りにしてしまったのではないか、と。

 そう考えて真っ先に思い浮かんだのは、純粋な神としての力です。

 『漂流伝説』において、暗黒王の肉体を得た神王は、他の神獣とは異なりクリスタニアの民に直接的な破壊の力を行使していました。

 その一方で、他の神獣はその力の行使に対してこれといった対応を取りません。

 それは、周期の保護を謳う神獣が、民に直接的な働きかけをしないという不文律があったからかもしれませんが、単純に神王に対抗するだけの力が無かったから、と考えることが出来ます。

 そもそも、人間の肉体を得た方がより強い力を発揮できるからこそ、バルバスは暗黒王の肉体を得ようとした訳で。

 そういう意味では、神としての力の一部を神獣になる際に失った、というのはまあ妥当な考えだと思います。

 ただ、この路線は考えてもあんまり面白くなかったので、「ヤガ」たちが失ったものを神獣たちも失ったと考えたらどうかな、とか遊んでみました。

 「ヤガ」たちは弱者に対する慈しみをなくしたと同時に、生きることを楽しむこと、言ってしまえば人間の文化の多くを失いました。

 作中では、その象徴として音楽が登場します。

 主人公たちによって、最後の最後に「ヤガ」たちに音楽がもたらされる、というのが「永久凍土帝国アナスタシア」のラストシーンです。

 これにあやかって、中立神から音楽が失われた、なんてどうでしょうか。例えば……

 「中立神たちが獣に身をやつす際に、一緒についてきた音楽を司る神が、『獣の身体など考えられない』とクリスタニアの神々から離反、結果神殺しのドラゴンロードに殺害されてしまい、クリスタニアから音楽文化が豊かに発展することはなかった」

 みたいな神話があった、なんてどうでしょう。

 動物の手じゃ楽器を弾けないですし、割と離反待ったなしだと思います。

 実際のクリスタニアで、音楽がどう扱われているのか真面目に調べてないんで、全部妄想ですけど。

 でも、こういう風に妄想が走るのって、やっぱり楽しい事だと思います。

 それは、深夜にシナリオ練っている時でも、実際にセッションをしている時でもです。

 昔、友人がGMしているクリスタニアで、セッション中、

 GM「失ってしまった大事なものを、取り戻すことはできるのでしょうか?(過去に捨てた子どものことを話している)」

 PL「それって周期の事ですか?(全然空気読んでない)」

というやり取りがあって全員爆笑、GMもそこで完全に思考停止に陥って、そこでセッションが終了してしまったこともありました。

 本当にいい思い出です。

 もし、FGOをプレイしている人がいて……FGOじゃなくても、何か他の作品からクリスタニアを思い出した時には、またそっと、ルールブックをめくってみるのも、悪くないと思いますよ。

 あっ、サブタイトルの「獣国の皇女」のこと忘れてた……。
 



 さて、ここからは余談です。

 先ほど、神王の話題を出しました。

 暗黒王の肉体を器とすることで、神獣よりも強い、フォーセリアの神としての力を発揮できるのだろう、というやつです。

 実際、神王の力は強大でしたが、その一方で、密林の猛虎バルバスは暗黒王とその肉体の支配権をめぐって、長い長い死闘を精神世界で演じていたとされています。

 自分はここに違和感を感じます。

 いくら暗黒王が英雄の中の英雄とはいえ、たとえ精神世界とはいえ、一人の人間が神の魂を前にして対等でいられるというは、正直どうなんでしょう?

 フォーセリア世界の人間の精神は、神の領域まで昇華しうるものなのでしょうか。

 それとも、神の精神は人間と同じ程度でしかないのでしょうか。

 もし後者だとしたら、神獣の民たちは何千年もの間そんなものに輪廻すら預けていたのでしょうか。

 それは、あんまりにもあんまりです。

 シューティングゲーム『ラジルギ』から引用すれば、それは「神様ってヒトなの?」、です。

 そしてこのやるせなさは、自らに向けられた問でもあります。

 RPGのシナリオでも、小説でも、何かしら物語を紡ぐにあたり、そこに登場するキャラクター達。

 ある意味で、作者たる自身は彼らの創造主であり、全ての運命を左右する絶対神です。  でも、結局それでもただの人間でしかない。

 そんな作者に運命を委ねざるを得ないということは、キャラクターにとってどんな意味があるのだろう……。

 神獣は好きですし、神獣の民たちも好きです。

 ただ、精神の偉大さにおいて唯人と変わりない人格神を見る度に、特にそれが人々に信奉される存在であるならば、なんだか居心地の悪さを感じてしまうのでした。


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